電車かもしれない

クラスにいた三白眼の女子は、みんなが受験を控えて右往左往する日常を馬鹿にするように、まるでそこから一歩どころか地球の裏側辺りにまで、距離を引いた場所におわした。
埃臭い隅っこで細長の目がつまらなそうに教室を見渡してぼおっとする様子は、三白眼がしかるべき指の形を保ち、髪型がパンチパーマであれば来る場所を盛大に間違えた大仏のようであっただろう。
三白眼は齢拾五にして悟りを開いたかもしくは全てを諦めきってしまったような奴で、昇りきって後は沈むしかない、山の間で溺れそうになってあっぷあっぷしている夕焼けの、死に際のヤケクソな赤色がよく似合う女だった。縄跳び遊びが楽しくてしょうがなく、気付けば一人ぽっちになってしまっていた。そんな帰り際を見失ってしまった子供と同じに。
内心最後に笑うのは自分達の方である筈なのだと鬱々とした日々を糞真面目に過ごしてきた連中の思い込みは、期末の試験を終えた直後に、泡となって消えた。
体育があれば恥ずかしげもなく毎度生理を理由にし、机に向かえば机をカッターナイフで彫刻しているか、わけのわからない図形の集合をラインの入ったノートだろうがマス分けされたノートだろうがお構いなしに描き殴っているようなあの三白眼。そいつがテストで全部を満点取っている矛盾に、皆が鳩が豆鉄砲を食らったような顔をして、大仏の目をした三白眼を見ている。まるで教室は修学旅行で行った京都だ。
三白眼は担任の教師に呼ばれて何処かへ行って、その日は放課後まで帰ってこなかった。俺が帰る頃になっても、教室にはもやもやとした疑問が六月の雨の日の湿気のように沈殿していた。
駅前で三白眼を見たのはその帰りだ。罰点の、長い交差点の中央に設けられた安全地帯で、横の信号が赤、前が青、黄色から赤。横が青。人の群れがわらわらと押し寄せては消えていく不毛な旗上げゲームに興味を失ってしまったかのように、三白眼がぼっと立ち尽くしている。膝下のスカートからにょっきりと生えた足の内腿からは、赤い蛇のような、一筆書きの血が股に向かって伸びている。それが、股の奥深くで止まって、死に掛けの太陽が空に塗ったくった赤に混じれず泣いている。
目が合ったのかもしれなかったし、三白眼の視線に俺がわざわざ入り込んでいたのかもしれない。三白眼の背中で信号が赤になるのが見えた。見えたが、そいつは頭の中ではただの赤だった。空と血と同じ色だった。あいつの三白眼は、目を合わせた奴の脳味噌を啜り上げているのかもしれない。毎朝鏡を見る度に、あいつ自身脳味噌を食われて、バカになってしまったのかもしれない。
旗上げゲームを忘れた俺は車に撥ね飛ばされた。それでもあいつの三白眼の小さな瞳孔の先と食われかけの俺の脳味噌は繋がっていたのだから、視線は離れなかった。ゴオーーーと電車が走る音がすぐ間近で聞こえるのに、世界は俺を宙にほっぽったまま全く時間が止まってしまったようだった。
ダイヤグラムが見える」「ダイヤグラム?」
「七拾億枚のダイヤグラムが重なり合って、線路は足りない。電車が衝突を繰り返している」
お前、そんなにスラスラと喋れたんだなあ。止まってしまった世界の中で人並みに動く三白眼の唇は、活発に蠢く二匹の蛞蝓のようで気持ちが悪かった。
「もう線路を増やせばいいのか、電車を減らせばいいのか判らない」
俺は右の目だけは自由に動かせた。三白眼は左目から脳味噌を啜る。今日初めて知ったことだ。空はもう赤くはなかった。真っ黒なペンで必死に紙を塗りつぶしたように、縦横無尽に、空には線路が引いてあった。それは星の無い夜の色をしていた。
三白眼のスカートの内側がジリリリと鳴って、そこから血まみれの発車ベルがゴチンと地面に落ちた。
「ガタン、プシュー。プァン。ゴトゴトゴト…」
そういう馬鹿の子供がするような、電車ごっこの口真似が、三白眼の唇にはよく似合っていた。
体の無い子供達が空を埋め尽くす線路上を走った。それでも線路は足りないのか、目玉を持たない子供達はすぐに衝突して、口も無いものだから無言で潰れ擦れ合うということを繰り返していた。